フレーリーズ・コメット

1983年にKISSを脱退したギタリスト、
エース・フレーリーが1984年に結成したバンド。

結成当初のメンバーは
エース・フレーリー(G、Vo)
リッチ−・スカーレット(G,Vo)
ジョン・リーガン(B,Vo)
アントン・フィグ(Dr)
アーサー・ステッド(Key)

84年11/30にニューヨークののSIRスタジオにてライブを敢行。
翌年3/2よりニューヨークを皮切りにクラブ・ツアーをスタート。
途中、キーボードがアーサー・ステッドからロブ・サリーノに交替、
そしてギタリストがリッチ−・スカーレットからトッド・ハワースに交替し、
最終的にはキーボードを除く4人体制でファースト・アルバムの
レコーディング制作を行う。

後列左より、エース・フレーリー、ジョン・リーガン。前列左よりトッド・ハワース、アントン・フィグ

1987年5月に待望のファースト・アルバム『FREHLEY’S COMET』発表。
ライブ中心の活動を続け、88年1月にミニ・ライブ・アルバム『LIVE+1』を発表。
同年5月にセカンド・アルバムの『SECOND SIGHTING』を発表。
翌年2月には『LIVE+4』(4曲のプロモーションビデオ付きライブビデオ)を発表。

ライブ+4での1コマ

エースのファッション・センスって、、、(((^^;;
はぁ〜〜、ちかれたび〜〜〜(^^;)

3代目ドラマー、ジミー・オールデイガーの時のラインナップ

そしてリッチ-・スカーレットと4代目ドラマー、サンディ加入時のフォト

この間にドラマーがビリー・ワード、ジミー・オールデイガ-、そして
サンディ・スレイヴェンへと交替している。この頃にはギターの
トッド・ハワースが脱退したが結成当初のリッチ-・スカーレットを
呼び戻して難を逃れる。同年10月にはエースの個人名義ではあるが
『TROUBLE WALKIN’』を発表。このツアーの途中の90年3月に
ベースのジョン・リーガンが脱退を表明、バンドのまとめ役的存在だった
彼の脱退が響いたらしく、エースは様々なプレッシャーに耐え切れず(?)
同年4/11のラス・ベガス公演を前に失踪!行方不明に、、、。
この事でツアーは中断してしまい、バンドもレコード契約も失ってしまう。

この時点でFREHLEY’S COMETとしての活動は終了してしまうが、
92年7月にジェイムス・ロメンゾをベースに迎えて『JUST FOR RUN』
ツアーを開始して復活を遂げる。(この時、バンド名を「FREHLEY’S COMET」
から「ACE FREHLEY BAND」にして活動した模様)93年11月にはリッチ-・
スカーレット(G.Vo)マーク・ノーマンド(B,Vo)スティーブ・ワーナー(Dr)を率いて
3度目の(ソロとしては初)来日、川口・川崎・名古屋・大阪で計5公演を行った。

94年にはベーシストがソール・ゾネイナに、更に95年にはカーク・コクラン
に交替するも活動の勢いは衰えず、同年7月からはピーター・クリスの
バンド「クリス」とジョイント・ツアー『BAD BOYS OF KISS』を開始。
8月9日にMTV/UNPLUGGEDに於いて16年振りにKISSメンバー
としてプレイしたのをきっかけにKISSに復帰した為、個人での活動は休止
してしまうが、2001年11月28日にニューヨークでのチャリティ・ライブ
『NEW YORK STEEL』に再びリッチ-・スカーレット(G,Vo)、カーク・
コクラン(B,Vo)、スティーブ・ワーナー(Dr)らと共に「エース・フレーリー
・バンド」として出演。現在もソロアルバム制作進行中とか?

ALBUM DISCOGRAPHY


エースTOPへ行きます〜