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スティーヴン・タイラー物語

「リスクを負うべきだ。自分を極限まで引き上げるんだ、
失敗してもまた立ち上がればいい」

ご機嫌いかが?
時は1943年、ニュージャーシー州、フォート・ディクスで
陸軍オーケストラの指揮者をしていたビクター・タラリコは
そこでピアノを弾いていたスーザン・ブランシャと出会い結婚。
1948年3月26日Steven・Tallarico誕生

父親はピアノの教師。「俺は親父の練習する姿を見て育ったんだ。」
スティーヴンは日々練習する父親に憧れ、彼の様になろうと努力する。
7歳の時、父親からレッスンを受け、「努力こそが結果を生む」と教わる

小学校3年の時、ステーヴンは口の大きさの事でイジメに遭い、スクール
バスに乗る事さえ恐れた。15歳で反抗期を迎え、髪を長く伸ばし、
更なるイジメに遭う。高校一年の頃、学校生活を乗り切る為に毎日、
通学前に1杯のスコッチを飲むようになる。
高校二年、スティーヴンは大麻を買い、学校から退学を勧告される。
退学免除の条件を飲んで、マーチィング・バンドのドラムを始める。

1965年、The Rolling Stonesが初訪米。
スティーヴンは彼等に会う為にゴッサム・ホテルに張り込み、見事成功。
この後、スティーヴンはMick Jaggerと間違われ、ファン達に囲まれる。
最高の瞬間を味わった彼は、「”俺もやれる”自分にそう言い聞かせたよ」
そして彼はロックスターになる事を夢見る。

「願い事は慎重にな、夢が叶う事もあるんだ。」

スティーヴンはドラマーとして、バンド「The Strangeurs」を始める。
その後、バンド名を「Chain Reaction」へ変更、曲をリリース、ツアー
を絶え間なくこなす。スティーヴンは契約を勧められたが、メンバー
が含まれていなかった為にこれを見送る。「バンドにのめり込んだよ。
その情熱のあまりにバンド内で孤立したんだ。」1967年、バンドは解散。
次のバンドは長くは続かず、スティーヴンはショーの最中にあくびをした
メンバーの首をしめる!メンバーは彼を”独裁者”と呼んだ。
行き詰まったスティーヴンは自宅に戻った。「俺は口が悪いんだ、
キレると手に負えない。口を挟む奴には誰にでも噛み付いたものさ」

1969年地元の食堂で働いていたジョー・ペリーと出会う。
ジョーは納屋にスティーヴンを呼んで彼のバンド演奏を聴かせる。
「演奏は最悪だった。でもその中の一曲にヤラレたんだ。これだって思ったよ」
ロックバンド”AEROSMITH”を結成し、ロックスターになれると確信する。

「上から下に物は落ちる。この引力の法則には誰も逆らう事が出来ないのさ」
努力あるのみっ!

スティーヴンはメンバーと共に猛練習を重ねる。
1970年、ボストンでのメンバーとの共同生活が始まる。
彼らは店から食べ物を盗む程生活は貧しかったが練習は
毎日行われた。「ジョーを褒めちぎってから注文を出すと、
ぶっ飛ぶリフを聴かせてくれるんだ」彼らは練習の合間に
”Three Stooges”を毎日一緒に見た。この年、初めての
ライブを地元の高校で行う。バンドは高校でのライブ活動
を続け、ファンを獲得する。1972年、レコード会社と契約。
スティーヴンは名字を”Tyler”に改名。
ファーストアルバムを出すも、マスコミは”Rolling Stones”のB級バンド
と酷評を受ける。「俺は口の大きさからMick Jaggerのコピーだって
言われたよ。」しかしスティーヴンが17歳で書いた曲がその評価を一変
させる事になる。1973年6月、”Dream On”をシングル・リリース。
スティーヴンは父親に触発されてこの曲を書いた。
この曲のヒットが彼らを新たなステージへと導く。

「セックス、ドラッグとロックンロールさ」

AEROSMITHの公演は全てソールドアウト、彼らはどこへ行っても
グルーピーに囲まれる。1975年、メンバーはみんなポルシェかフェラーリ
を購入、1977年には専用飛行機まで購入。この頃、スティーヴンは
コンサート中に大麻で捕まったファンを保釈する。1978年、スティーヴンは
週1000ドルをドラッグにつぎ込むまでに。バンド内でもドラッグが横行、
メディアはジョーとスティーヴンを”Toxic Twins(中毒双生児)”と名付ける。
「ライムさえ出来なくなった、そんな簡単な事さえね。ドラッグはディープだよ、
全てを取り除いてしまう。いやな事も忘れるんだ、、一瞬でね」
音楽への情熱を失ったスティーヴン。そして人生にも・・・

1977年7月1日、プレイメイトのぺぺ・プエルがスティーヴンの娘、リプを
出産するもスティーヴンは自分が父親だと言う事を知らなかった。翌年、
Cyrinda Foxeと結婚。12月22日娘Miaが誕生。1979年バンド内に
衝突が起き、ジョーが脱退。更にスティーヴンは自分を見失っていく。
「俺達はドラッグに頼ってツアーをやってた。
そしてボロボロになる、ドラッグに逃避している
自分が許せなかった。ジョーが去って心にも
大きな穴が開いた。」スティーブは何度も
ステージで倒れ、ツアーはキャンセル、
アルバムセールスは激減。
「死ぬかもしれないと思ったよ。靴の紐を結ぶ
事も食事も出来ないんだ。現実を受け入れる
しかなかった、辛かったよ、バンドも自分の命も
このまま尽きる・・・俺はそう思った。」
結婚生活も破局へ、、、。
1983年、スティーヴン破産。
ニューヨークのホテルで週20ドルで暮らす。
バンドも低迷期を迎える。
薬、止めますか?人間、止めますか?


17歳当時に思ってた、”生きた証を残さずに死んでしまうのが怖い・・・”
「全てを捨てる事も出来た。でも、かつて自分にあった何かを取り戻したかった」

1981年、スティーヴンのドラッグ依存症は深刻化。AEROSMITHは
過去の遺物としてみなされ、6年間ヒットから見放された。
ドラッグ問題は解決出来ず、1984年2月14日、ジョーとスティーヴンは
再び手を組み、最後の望みに賭ける。バンドはゴルフ場で練習し、
自らの運転でショーに出向く。そして1本の電話が全てを替える。
1986年、3月9日、Run DMCが”Walk This Way”のコラボレーション
を依頼。スティーヴンはこれが待ち焦がれていたチャンスだと感じる。
曲は大ヒット、多くの新しい世代がAEROSMITHを始めて耳にする。
スティーヴンは2度目のチャンスを得るが、ドラッグ問題が行く手を阻む。
「ミュージシャンとしての自分を見失いかけてた。ドラッグのせいでね。」
AEROSMITHを救う為にバンドとスティーヴンは衝突を繰り返す。
「ココまで来たんだ。俺みたいな頑固者は言う事を聴くまで時間がかかる」
1986年、スティーヴンはドラッグを経つ為にリハビリに入る。
「時間がかかったな、でも復活さ。」
他のメンバーも続いた、、、年末、バンドはドラッグ依存を克服。
「今朝はビタミン剤を飲んだ。健康そのものさ!」
「昔はすぐキレた。テーブルをひっくり返したりね。今は感情をコントロール
できる。感情は歌詞に表せばいい。」 私生活にも明るい兆しが見える。

1991年、娘リプはStevenの名字を取る。
スティーヴンは彼がソウルメイトと呼ぶ女性とも名前を分かち合う。
1988年、テレサ・タイラーと結婚。夫妻は2人の子供を共に育てる。
1987年、復活したバンドは黄金期を迎える。
1997年3月18日、全米bPを獲得。翌年自主制作映画でスティーヴンは
俳優デビューも果たす。彼の役どころは”酒場の常連”。

「ドラッグは止められないと思ってた」
「流れに逆らって生きてきた。昔は失敗することを恐れたけど、今は違う。
乗り越えればいいのさ。激流だと感じていた流れが今は穏やかに感じるよ」


スティーヴンは今も父親からのアドバイスに耳を傾ける。
スティーヴン・タイラーのモットー

”少年の心を忘れるな”
少年よ大志を抱けっ!(by北海道に銅像がある人)
MTV BIOrythumより

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